ここからまだ行ける 今も変わらず 何度も

僕には僕であること以外に価値なんてないのだ。だから僕は、僕がしたいようにすればいいと思う。だって、誰かのために生きることなんて誰でもできる。僕のために生きられることこそが、僕が僕であることの何よりの証拠なのだ。

 

社会人5年目の春を迎えている。嘘だろ?

僕はこの5年の間に、2回転職をした。1回目は社会人1年目が終わった春、2回目は社会人3年目が終わった春に。つまり、3年以上同じ職場にいたことがない。大学に入った頃、こんなキャリアになるとは夢にも思っていなかった。あの頃は教育学部を出て普通に学校の先生になると思っていた。でも大学を卒業した春にはなんとなくこんなふうになるような気はしていた。そのときの僕には僕がしたいことがわからなかったからだ。

社会に出るのが怖かった。人と関わるのが怖かった。ていうか今も怖い。大学の頃はできるだけ人と関わらなくて済むバイトを探して、倉庫内で軽作業をしていた。フォークリフトでパレットを引っ張って、その上にコンテナやダンボールを積みながら冷蔵倉庫の中を歩き回るバイト。社会の裏側が覗けたみたいで楽しかった。人生どんなに失敗してもここになら戻ってこられるような気がした。そういう場所を求めていた。だけど、最初からここにいるのは怖い。何がしたいのかわからなかった僕は、とりあえず多くの人の役に立ちそうで、そんな社会の裏側とも関わりを持ち続けられそうな会社を選んだ。工業系の商社だった。いろんな工場で使われる消耗品を販売するルート営業。ド文系の僕にはすべてが新鮮だった。「ご安全に」という挨拶。CADで描かれた部品の図面。プロボックスで博多から唐津まで運転する毎日。助手席で他の営業所の同期と電話で喋りまくる上司。ベルトコンベアのベルトをくっつける専業の職人(元営業マン)。社員旅行。社長に連れて行かれた中洲のスナック。初めて見るものばかりだった。社会って面白いなと思った。だけど、自分が何をしたいのかはまだわからなかった。

結果が全ての営業の仕事にも、今なら前向きに取り組めるかもしれない。自分には合わないと思っていた、パチンコや風俗の話ばかりするあの取引先のおじさんとも、今なら仲良く話せるかもしれない。だけど、そのときはなぜだか営業の仕事がとても窮屈に感じた。関わる人すべてがつまらなく感じられた。自分よりもっとこの仕事に向いている人がいると思えてどうしようもなかった。

だけど社会人1年目に見た世界は今も鮮明に覚えている。社会人2年目以降は、ずっと劇場という場所で働くことになるのだけど、僕の意識はいつも劇場の外で働く人たちに向いてきた。この街に住むすべての人がそれぞれの小さな世界で生きている。ときに傷つき傷つけられながら、決してわかり合うことはなくすれ違いながら生きている。そんな人たちが一瞬でもわかり合える瞬間に立ち会いたいと思った。そんな場を作り続けたいと思った。落研のとき、僕は何回もそんな場を見せてもらってきた。だから劇場という場所に興味を持った。

 

続きはまた今度酔っ払ったときにでも。