僕たちの目は見えすぎて ずっと宗教のように絡まるから

何か書きたい気分なんだけど駄文しか出てこない。しばらくまとまった文章を書いていないから、書く能力が落ちているのかもしれない。アウトプットだけでなく、インプットも最近怠っている。同じ曲ばかりいつも聴いているし、読書や勉強をしていないし、知らない場所へ行っていない。つまり、そもそも書くほどの内容がないということだ。ただ漫然と仕事をして家でダラダラしている。でも、仕事は楽しい。職場の人たちは優しい。それは、いいことだ。

転職して早8ヶ月。秋口からにわかに忙しくなり始め、今までのサラリーマン人生で最長残業時間を記録した(あくまで自分の中の記録であって、他の同世代と比べれば「普通」の範疇に入る時間だと思うが)。それもあって、あと寒くなったのもあって、生活に対するやる気が落ち、買い物や料理をする気が起きなくて外食ばかりしていた結果、太った。肌もめちゃくちゃ荒れている。職場は平均年齢が若く、綺麗なお姉さんやかっこいいお兄さんがたくさんいるのでこんな小汚い人間が一緒にいてもいいのだろうかと思って、慣れない美容室へ行ったり服をやたら買ってみたりしたが、特に楽にはならなかった。相変わらずきつい日はきついし、なんともない日はきれいな人たちとおしゃべりできてラッキーくらいの感覚で仕事をしている。時々この意味の分からないコンプレックスに振り回される。痩せたり肌をきれいにしたりしないと、きっと一生治らないのだろう。

僕には、気分が落ちると寂しくなって恋愛をしようとしてしまう非常に困った性質があり、今年は齢26にして初めてマッチングアプリに手を出してみた。結果2人に会ったが続かず、2人にやり取りの途中でブロックされた。電話してる途中で切られてブロックされたのには流石に驚いた。そんなに僕の話がつまらなかったのだろうか。ネットを介して出会うだけで人間というものはこんなにも残酷になれるのだなということを学びつつ、課金してしまった残りの2ヶ月を如何にして過ごそうか、決めあぐねている。

ここまで書いてみて読み返してもやっぱり面白くない。だめだ今日は。さっさと家に帰って寝よう。ちなみにこの文章は快活クラブで書いている。家で全然何もできないから持ち帰り仕事を消化するために無理やり来てみたものの、漫画を読み続けて何もできなかった。人間は結局どこにいるかではなく何をするのかが重要なのだ。僕だってやるときはやる、そんなことは僕が一番よくわかっているのだ。けれどとりあえず外に出ることで「やろう」という意志は少なくともあるのだ、という言い訳を自分に対して用意したかったのだ。そんな的外れな努力をするくらいなら最初から家で腹を決めてやれば良いものを。

快活クラブにいると、いつか40代、50代になってもまだ僕は一人でここへ通い続けているのではないかと思ってなんだか怖くなる。「もし東京なんか行って、路頭に迷ったらどうするの」といういつかの母の言葉を思い出す(結局東京には行けなかったのだけれど、これから先行くかもしれない)。去年の冬、転職する前に実家から快活クラブに通って「アフロ田中」シリーズをずっと読んでいた。僕も田中のように出会った人たちを大切にして生きていればなんとかなるものだろうか?

明日は演劇を観に行く。明後日は浪曲を聴きに行く。客席にいるときは心底安心する、隣には同じ作品を見に来た客がいて、舞台には客のために演じるアーティストがいて、舞台裏にはその空間のために働く裏方がいて、寂しくないから。